【旅行】いざ決戦の地、壇ノ浦へ!!
旅行から帰ったので、今日もしっかり投稿。
昨日書いた記事で、5日間の旅行の内の一日目、宮島に行った思い出を綴ったんで、今日は二日目以降の思い出を書こう。
一日目宮島観光を済ませた後、更に山口県方面に移動して、広島県の左端の方の市(名前思い出せない)の快活clubで宿泊。
次の日、朝一番で今回の旅行のメインである歴史の集う県、山口県に突入。
まずはこの日主に回るのは、下関市。
ボクにとっては二つの時代の歴史の舞台である場所なだけに非常に行きたかったところです。
二つの時代とは源平騒乱時代と幕末時代。
幕末オタクのボクですが、どっちかというと下関は源平時代の決戦の地、壇ノ浦に行きたかった!!
この日は前半を幕末史跡巡り、後半を源平史跡巡りという感じで回ったんですが、源平の方が早く書きたいので順番逆にして後半の源平史跡巡りからいきます。
だらだらと長くなるのはボクの悪い癖なんで、どうしても書きたいことだけかいつまんで書きます。(すでにここまででダラダラ長い…)
さあ、壇ノ浦の合戦の舞台へ!!
壇ノ浦の合戦の有名な一幕として、
という場面があるんですが、その場面を再現した銅像が下関にあるんですよ。ここだけはどうしても行きたかったんです。
もちろん写真たくさん撮ってきました!!!
(もともと幕末時代と戦国時代をメインの歴オタだったんですが、今年のはじめにタッキー主演の一昔前の大河ドラマ「源義経」と平家物語をみてから源平騒乱時代にもどっぷり浸かってしまいました。)
この場面、大河ドラマ「源義経」では義経asタッキーと知盛as阿部寛で再現されてたなあ。。阿部寛の知盛の死に様がとにかく格好良かった。
あ、この銅像で、平知盛が大きな錨を手に持っているのは、最後に入水自殺を遂げる際に錨を体に巻き付けて身を投げたという逸話がもとになってるんですよ。
なんで錨を巻くかというと、自分の醜い死体が水面に浮くかんでしまうのを避けるためです。当時は敗者は首をさらされるのが当たり前でしたからね。
源平はこんなところで切り上げてっと。
では幕末編に移ります。
山口県は幕末において長州と周防という国でした。長州は有名っすね。周防はあまり耳慣れないんじゃないかな。
旧周防と言えば代表的なのは現在の下関市、旧長州と言えば代表的なのは現在の萩市です。
この日2日目は旧周防、下関を回ります。(萩市は次の3日目に行きます。)
長州藩はそれこそ重鎮の木戸孝允や大先生の吉田松陰、その優秀な門弟である高杉晋作や久坂玄瑞、明治期を担う政治家の伊藤博文、山県有朋、井上馨など多くの有名な偉人を輩出しました。
じゃあ周防はっていうと長州に比べると幕末時代の活躍は地味ですが、高杉晋作率いる奇兵隊決起の地であったり、戊辰戦争などで活躍した戦略の天才、維新の十傑のひとり大村益次郎の生まれた地であったりします。
一緒に行った友達が最近、司馬遼太郎の歴史小説「世に棲む日日」(吉田松陰・高杉晋作を主人公とした小説)を読んだとかで、幕末オタクのボク以上に幕末時代の山口県に関心が強かったんで、すべてその子にまかせてまわりました。
こんな感じで源平・幕末の歴史散策が終わって時間があまったんで、義経・知盛像のすぐ近くの関門海峡トンネルを徒歩で渡ってきました。
これが本州・九州の県境です。
その後は青春18を乱用して、1時間かけて豚骨ラーメンを食べるためだけに福岡博多に行ってきました笑
けど正直往復2時間かけただけの感動はなかったなあ。。。
その日は下関と萩のちょうど中間の市(また名前忘れた。。)で安いホテルで泊まりました。
長くなっちゃったのでまた明日!!!!